世に問う!言わずにはいられない
何かと住み難い、住み辛い世の中になってきているように思える昨今、右にも左にも決して属することなく、中立・中道をよしとして、敢えていうならば弱者の味方に立って私なりの提言や言いたい事を投稿するサイトです。
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158.無駄は本当にムダか 2013年8月23日
「そんなの無駄遣いだ」「時間を無駄にするな」「無駄金だ」などなど、無駄という言葉は至極あたり前のようにあちらこちらで聞こえてくる。確かに無駄だと思える「犬に論語」や「牛に経文」などの格言はある。
無駄の意味として、「役に立たぬこと、益のないこと、また、そのもの」と広辞苑には載っており、イメージとしては極めてネガティブで主観的な印象が強い。
だが一般的な会話の中で、用いられる無駄という主観的な言葉の核心に触れると、多面的要素が多分に広がってくるのである。

書店のハウツウ本のコーナーを通ると、決まって節約方法や無駄遣い克服術などの指南本がずらっと並んでいる。
勿論節約することを否定するつもりは毛頭ない。
生活していく上で、節約や倹約の自己抑制を課せながら、この厳しい世の中を生き抜く上で、必要でしかも致し方ないことなのかもしれない。

ましてや、不安定で、しかも信用を欠く政治に対する狐疑心は拭えず、先が見えないその場凌ぎの政策や政争を繰り返す現状を目の当たりにしていれば、将来に対する不安は積もるばかりであって、節約を良しとし、倹約精神を全面に出して将来に向けて貯蓄にまわす、などの無駄を極力排除したいと思うのは至極当然のことだ。


しかしながら、「無駄」は本当に「無駄」なのだろうか。「必要なもの、こと」以外は、その人にとっては無駄かもしれないが第三者にとっては必要な物かもしれない。

例えば、靴下を購入しに衣料品店に入り、ついつい衝動買いでTシャツを買ってしまった。また、シャンプーを買いにスーパーに買い物に入った際、ついつい誘惑に負けてお菓子を買ったりするが、目的要否云々から言えば、目的物以外は全て無駄ということになる。

しかしながらその無駄な筈のTシャツは、何処かの縫製工場で作られるが、その売上の一部はそこで働く人達の賃金となり、お菓子の原料となる小麦や砂糖は小麦農家やサトウキビ農家で栽培され、それを包んでいるビニール袋はビニール工場の売上となり、その袋に印刷されたプリントは下請会社の印刷工場の売上につながり、そこで働く従業員の生活を支えている。
そしてまた、それらの原料となるものを提供するところがあって、裾野は無尽蔵に広がり、形をなす物全てに、其れ相応の関わりが持たれている。そしてそこに関わってくる全ての人達の生活に貢献することになるのである。
無駄だ無駄だと人は言うが、ある意味に於いては、「この世に無駄なものなど何一つない」と言えるのではないだろうか。

たとえ直接的に関わらなくとも、間接的に何らかの形で関わっているのではないだろうか。
お金は天下の回りもの。お金を使うことによって何時かは回ってくる。
そのことによって経済は活性化され、流通や循環を生むのである。
今の日本の個人資産は約1560兆円、対外純資産は約296兆円で世界一を20年間保ち続けているとのことだ。主な大企業が抱える内部留保は267兆円もあるとの推計だ。

無駄使いし過ぎるのも考えものだが、貯める一方での宝の持ち腐れは尚更問題だ。寧ろその行為が、「ただただ無駄を生んでいるだけ」と言えるのではないだろうか。



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