世に問う!言わずにはいられない
何かと住み難い、住み辛い世の中になってきているように思える昨今、右にも左にも決して属することなく、中立・中道をよしとして、敢えていうならば弱者の味方に立って私なりの提言や言いたい事を投稿するサイトです。
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177.ウオンゴール 2014年7月11日
サッカーのワールドカップブラジル大会が大詰めを迎え、後はアルゼンチンとドイツの決勝を残すばかりとなった。残念ながら日本は早々に姿を消したが、また4年後がある。しっかりと態勢を建て直して頂点を目指して欲しい。
そんな折り、日本は今後の命運を大きく左右しそうな決断に迫られている。
友人がチンピラに絡まれているところを、離れたところから黙ってみているか、それとも勇気を出して加勢に入るべきか。さて、そんな状況に置かれた時、どう対処すべきなのか。
困っている友人を見るに見かね、黙って見過ごすわけにはいかないと勇気を奮い、加勢にはいる。その方が友情や正義感を重んじるといった観点から、道義的に正しいといえるかもしれない。

そんな意味合いかどうかは分からないが、閣議決定された今回の集団的自衛権の行使云々だが、閣議決定後の記者会見の折り、総理は記者団の質問に対し、アメリカの高官から

「日本を守るため、警戒にあたっているアメリカの艦船が襲われているとき、近くにいる日本の自衛艦が救出しない状態や、その戦艦を守る為に何の処置もとれない状況を、アメリカ国民の日本に対する信頼感や、共に日本を守っていこうとする意思がついていくことができるか考えて欲しい」

と言われたことなどが、集団的自衛権の行使を考え始めるきっかけとなったと紹介している。
確かに、友人が目の前でやられているのをみれば、道義的云々にも関わらず、刹那的に助けたいとの衝動にかられるのは本能的に自然なことだ。
またそれとは裏腹に、怖くて尻込みをしてしまい、ただただ遠巻きに見るといったこともまた本能的な心情であろう。

謂わば、咄嗟の判断として、二者の選択肢に別れるのが一般的な解釈といえるのかもしれない。
しかしながら果たして、結論を導き出す方法はその二つだけなのだろうか。
今回、閣議決定された背景には、その二者拓一の結論にのみ重きを置き、導き出されたように思えてならない。

しかしながら、もっと大事な解決策が他にあるのではないだろうか。
加勢に加わり、暴力をふって恨みを買うよりも、「仲裁にはいる」といった中立的な立場をとることに、心血を注ぐべではないだろうか。
現実的でないと思われるかもしれないが、日本は世界で唯一の被爆国であり、苦い敗戦を経験している。また東日本大震災では多くの犠牲者を出し、甚大な被害を被った。また、その原発事故により、今後の汚染処理の見通しが立たない被曝国ともなった。
アメリカや諸外国からも十分に理解を得られるのではないだろうか。
例え理解を得られなかったとしても、終始一貫、徹頭徹尾中立を貫き通すことによって必ず理解を得られるのではないだろうか。 

また今回のように、集団的自衛権などを論議するときには必ず「抑止力」が問題視される。
ただ、この抑止力についても、いったいどこまで「必要だ」というのだろうか。
確かに、ここ最近日本海西側の境界付近で、他国の船や他国の飛行機による領海や領空侵犯を受け、緊張した状態が続いている為、尚更注目されているのかも知れないが、かと言って、直ぐ様最悪のシナリオである有事に発展するだろうか。
遠国しかり、隣国しかり、それ程単純で馬鹿だとは思えない。楽観的だと言われるかもしれないが、理由もなしに、ただ闇雲に戦争をけしかける国がある筈がない。いかなる理由があろうとも、戦争をやるべきでないと思うが、現実として今も世界の片隅では紛争が絶えないのが実情だ。ただそれも、それなりの理由があってのことだろう。
つまりは、戦争を始める理由、原因を作ってはダメだということだ。戦争の元となる原因や理由を作らない限り、最悪のシナリオにはならないのではないだろうか。但し、個別的自衛権の問題はまた別だ。

ヘイトスピーチなど、差別的言動の度が過ぎることが問題視されているが、これとて、最悪のシナリオを招く原因に十分なり得る。
当然、今回閣議決定された事案もその理由や原因になり得る可能性は十分考えられる。

今回の閣議決定は、有事の原因・理由になるばかりでなく、世界で認められた(誰が作ったかは問題でない、内容が問題だ)平和憲法にメスを入れようとしている。
世界に冠たる平和憲法を未来永劫守り抜き、他人の血を流し、また、家族や自身の血をも流さねばならない最悪のシナリオを、戦禍を絶対に避けなければならない。その最後の砦となる平和的憲法を、しっかりと後世に残すのが我々の使命ではないだろうか。
嘗て歴代の総理の中でも、かなりの強硬派がいたようだが、一線を越えなかった。その歯止めとなったものが今の平和憲法である。

「困っている友人を目の前にして、黙って見過ごすわけにはいかない」という心情に、大いに共感するのも事実である。しかしながら、個人レベルの問題と国家間での問題レベルとでは、まったく別物と捉えなければならない。犠牲の大きさがあまりにも違い過ぎるのである。個人の喧嘩による犠牲者は、せいぜい当事者や加勢に入った友人ぐらいのものだが、それが国家間ともなると、全く無関係の子供やお年寄り、一般の市民の多くが必ず犠牲になり、路頭に迷うことになる。

『小穴大船を沈める』『千丈の堤も蟻穴より崩るる』との例え通り、蟻の一穴によって一度穴が開き始めれば、益々その穴が広がることになるだろう。また、一旦広がった穴を塞ぐことは、決して容易なことではない。
集団的自衛権が及ぶ範囲は「限定的」だと総理は云うが、年月の経過とともに、或いはときの政権によって、更に穴を広げる可能性は十二分に考えられるだろう。
これは一個人レベルの問題ではない。個人レベルの友情や道義的心情で、決して結論を急いではいけないし結論付けてはいけない。

私が所属する地元の短歌同好会の会報に、「ワールドカップサッカーの合間にみる政治の行方がきな臭くなってきました。多数決とはウオンゴールしたような国民の自滅みたいなものでしょうか。平和がくずれないように恃みます。」と最後を結んでいたが、数の力による強引な手法によって、国民の自滅を誘うようであってはならない。
日本もウオンゴールを決め、自滅しないよう、ただただ祈るばかりである。




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