世に問う!言わずにはいられない
何かと住み難い、住み辛い世の中になってきているように思える昨今、右にも左にも決して属することなく、中立・中道をよしとして、敢えていうならば弱者の味方に立って私なりの提言や言いたい事を投稿するサイトです。
人それぞれ意見や考え方も違いますが、「こんな考え方もあるんだな〜」と、ご理解頂ければ幸いです。
   2010年以降の「世に問う」は、こちらのサイトに投稿致します。 2009年(63)以前の投稿分はこちら
このページ以外の提言は「世に問う!home」に戻ってからお進み下さい。
193.蛮勇はどっちだ! 2015年2月21日
「死んだ者は幸せだ、もう苦しむ必要はない、安らかに眠れる」
その言葉は、戦場の兵士でも、戦場を取材するジャーナリストのものでもない。ごく一般の市民の声だ。
後藤健二(故)氏のブログより。

世界各地で何故、衝突や鏖殺が絶えないのだろうか。憎しみが更なる憎悪を生み、苦しみが更なる苦艱を生むこの暗闇の連鎖は、どこまでも続き、止むことがないのだろうか。戦場にある一般市民の苦悶は、想像を遥かに超えたものに違いない。
ロシアや中国の急激な防衛予算の拡大は周知の事実だが、圧倒的な軍事力を誇るアメリカも、更なる拡大を模索している。我が日本も、安倍内閣(1月14日)の閣議決定で、来年度予算案の防衛費が4兆9801億円と、過去最高になるとのことだ。

最先端の技術を導入した冷徹な殺人マシンや、人工頭脳を持った不気味に動く破壊兵器の製造に心血を注いでいる。
軍事企業(産業)の思惑どおりに、事が進んでいるかのようだ。
当然最新兵器が完成すれば、早速実践で試してみたいというのが本能的な心理というものだ。

「宇宙からの侵略に備えて」というのであればまた話は別だが、この地球に住み、同じ空気を共有する人類同士の殺し合いは、あまりにも悲しいことだ。今現在我々日本人は、平和な社会で安穏と暮らしており、危機感を持っていない平和ボケの状態で日常生活を送っている。
そんななか、危機感を持つ必要に迫られている。いや、正しくはなったといった方が正しいのかもしれない。

先日、イスラミックステート(旧名イスラム国)の捕虜となった日本人2名が、酷い、冷淡な処刑の刃に倒れた。
一人はジャーナリスト。戦禍に苦しむ一般市民の悲しい様子などを撮り続け、世界中に発信した。もう一人はその助手として、または護衛として共に銃弾の下を掻い潜った者同士だ。
初めはその助手兼護衛の湯川遥菜(故)氏が拘束され、それを見過ごせなかったジャーナリストの後藤健二(故)氏が後を追ったようだ。その行為に対して、賛否両論あって当然かもしれないが、ある政治家は蛮勇と評した。

確かに、結果的には多額の身代金を要求され、世界中に日本の交渉力の無さを露呈した格好となったが、それに至る原因を全て蛮勇だとして切り捨て、身勝手な行動とし、2人の責任として押し付けて良いものだろうか。
2人の拘束を知りながらも、敢えて、人道支援、非軍事支援と称して、イラクやレバノンなどに2億ドル(約200億円)の支援を行った。
その行為を、一般的な解釈としてどう受け止めたらいいだろうか。仮に、イスラミックステートの立場で考えたならば、当然日本はイスラミックステートの壊滅に資金援助をしたと解釈するのが自然であり、妥当だろう。

結果論だが、余りにもタイミングが悪すぎたのである。人道支援自体は勿論素晴らしいことだが、結果的にはタイミングの判断を誤り、2人の尊い命を犠牲にしてしまったと言わざるを得ないのではないだろうか。
 
労働者として、家族の為にまじめに働くエジプト人のキリスト教信者21人がリビアで拘束され、斬首による酷い処刑にあった。
あまりにも残忍で野蛮なイスラミックステートに対し、『テロには絶対屈しない』とする錦の御旗を掲げ、強行な姿勢を崩さないとする方向性に、決して異論を挟むつもりはないが、尊い命がかかっていただけに、デリケートな判断、心配りが必要だったのではないだろうか。

家族の反対、政府の制止による圧力よりも、「友を救いたい、救えずとも友と一緒に命を落としても構わない」とする男の友情、特に砲弾の下を掻い潜り、戦禍を共に乗り越え、命がけの体験をとおして生まれた男同士の友情、絆を、少しでも理解してやることが、せめてもの彼らへのはなむけになるのではないだろうか。


 後藤健二さんのブログ 湯川遥菜さんのブログ 




Sponsored Link
 日本の防衛費過去最高を記録  ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
Copyright:(C) 2010 yonitou iwazunihairarenai All Rights Reserved.










inserted by FC2 system