世に問う!言わずにはいられない
何かと住み難い、住み辛い世の中になってきているように思える昨今、右にも左にも決して属することなく、中立・中道をよしとして、敢えていうならば弱者の味方に立って私なりの提言や言いたい事を投稿するサイトです。
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200.迷走する国是 2015年6月16日
日本の国是、国の進む方向が一変しようとしている。
「国民の生命、平和な暮らしを守るのは政府の責務だ」と、我が国を取り巻く安全保障環境の厳しさを強調し、歴代政権が踏襲してきた憲法解釈について、恣意的に歪曲した解釈を正当化する集団的自衛権について、早急な法改正を睨む政府の強行が波紋を呼んでいる。
先月行なわれた衆院憲法審査会では、名だたる3人の憲法学者が集団的自衛権の行使を「合憲とは言い難い」として、否定を明確化した。また先頃、保守系で元自民党の要職にあった4人の重鎮が、集団的自衛権を認めるか否かはもっと慎重に議論すべきだとし、日本記者クラブの会見で言及し、強く批難している。
4人の共通点は戦争を直接或いは間接的にも知見し、戦争経験のある戦前生まれである。

戦後生まれの安部総理は「積極的平和主義」の名の下に、審議を淡々着々と進めようとしているが、「積極的平和主義」なる文言の真の意味はいったいなんだろうか。
「平和な日本を築く為には軍事行動でもなんでも積極的にやるべきだ」と云っているようにも聞こえるが、私は寧ろ、本当の平和主義を主張するのならば、武力排除の強調性を訴えるべき文言として解釈すべきではないかと思っている。但し、個別的自衛権を放棄するという意味ではない。

どんな愚国であれ、敵対国であれ、集団的自衛権を行使し、武力や腕力でねじ伏せようとしたところで、ただ遺恨を残し恨みを買うばかりとなり、テロの温床にあずかる可能性を生む。
それらを回避する為にも、集団的自衛権の行使ではなく、徹底した外交力、交渉力の強化を図り、危難回避をする必要性があるのではないだろうか。

また、険悪な他国に対し、刺激を与え波紋を呼ぶような挑発的言動や行動は避けるべきである。また、専守防衛の観点から、力の鼓舞は致し方なしとの場合は、自然体で、しかも淡々とやるべきものであると私は思う。
いずれにしても過去70年間続いた平和な国「日本」は、もし、集団的自衛権を容認し行使することになり、戦闘に巻き込まれ、万が一、自衛隊員らの死に直面し、訃報が度重なるような事態にでもなろうものなら、誇り高き日本国民として、ナショナリズムに火が着き、推重をよしとして70年前の軍国大国として復活し、更なる悲劇を生み、更なる惨劇を味わう結果となるのではないだろうか。

シビリアンコントロールの弱体化に繋がりかねない文官統制の廃止も含め、強行採決も辞さない憲法改正に伴う政府の強引な姿勢は、本来政治権力の暴走を阻止し、独裁政治を防ぐ意味でも重要である筈の憲法を軽んじ、早急且つ強引な改憲、或いはご都合主義の憲法解釈は決して許されることではない。
議論に愛の油を注ぎ、慎重に、且つ又丁寧に丁寧に議論を交わし、最終的には国民の是非を問うた上で、結論を導き出すべきものではないだろうか。

国会を2・3ヶ月延期した程度では、日本の国是に関わる重要な問題だけに、我々国民が納得いくような結論を導き出して頂くまで、慎重に丁寧に議論を煮詰めて頂きたいものだ。



最後に、友や仲間を助けるのは、男の気質、性分としては当然と云えるかもしれないが、それは個人的レベルに於いての話だ。
地域、或いは国と云った組織、集合体としての問題とは全く話が違ってくる。
前述のように、暴力、武力などによる強行的手段ではなく、話し合いによる仲裁など、友として、仲間としてやるべき方法を考え直すべきではないだろうか。
武力による制裁は武力の応酬により返ってくる。
 
 
我々一般の国民を危険に晒し、平和な暮らしを奪い、最終的には「国民の生命、平和な暮らしを守れない政府」になるのではないかと真剣に危惧している。



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