世に問う!言わずにはいられない
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233.75年目の訪問 2016年12月28日
昨日、大戦後初めて日本の総理が真珠湾を訪れた。
今年8月、オバマ大統領が広島を訪問したことを受けて、「お返し」なのかもしれない。
1937年7月7日の盧溝橋事件を発端として、1945年迄の約8年の長きに於いて、晴天が見えない雲天状態の日中戦争が続くなか、欧米からの圧力として石油の輸出が禁止される経済制裁があった。当時の日本は国際的な孤立を余儀なくされた。
その窮状を打開すべく、未だ石油の在庫があるうちにと1941年(昭和16年)12月8日未明、アメリカの軍事施設があった真珠湾を攻撃し、太平洋戦争を引き起こした。

更には1939年からヨーロッパで始まっていた第二次世界大戦に巻き込まれ、数千万と云う無数の犠牲者と、破壊による破壊によって莫大な損害を招く結果をもたらした。
今回の真珠湾の訪問は、それらの謝罪云々は別としても、一つの区切りとしては一定の評価はできるのではないだろうか。

ただ、コメンテーターたちも云うように、原爆は多くの一般市民を巻き込んだ非人道的行為、真珠湾攻撃は軍事施設への攻撃、「対比材料とはならない」と云えるのも頷ける。
昨今の世界の動向を鑑み、国家愛国的言動、国粋主義者の台頭など、内省傾向が顕著となる世界情勢のなか、ネット上の拡散による炎上傾向は危惧されるべき事態である。昨今の不寛容さと相俟って、益々色んな意味での孤立化が進むのではないだろうか。

国際的孤立の行く末は誰しもが知るところであろう。
真珠湾攻撃により、方向性の鮮明化によって当時の日本国民の多くは冷静さを欠いた。戦果の惨烈や不幸、悲運を知る由もなく、戦争開戦を歓び、受け入れたとのことだった。
今回、真珠湾での安倍総理のスピーチのなかで、「和解の力」と「不戦の誓い」が注目されたが、被団協の関係者が漏らすように、口先だけの「空虚」な言葉に終わらぬよう、心底から期待したい。







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