世に問う!言わずにはいられない
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315.国家財政が破綻する「本当なのか?」 2021年10月20日
巷で物議を醸している現職の財務次官矢野氏による文藝春秋への寄稿文に、「このままでは国家財政は破綻する」と云った見慣れ、聞き慣れた文言がある。
矢野氏自身が「ワニの口」と称して、一般会計税収や歳出総額及び公債発行額の推移を1975年から2021年迄をグラフ化したものだが、一般会計税収が増えていないのに、一般会計歳出ばかりが増え、益々その差が広がって借金ばかりが増えている。そのことに危機感を懐き、孫子の代にそのツケを残していいのか」「このままでは国家財政が破綻する」などと警鐘を鳴らしている。
果たして本当にそうなのだろうか。

確かに、我々民間の立場、感覚でみるならば借金がかさみ、返済が出来ないとなると倒産や自己破産、或いは民事再生と云うことになる。何故なら、返済する原資、つまりお金がないからだ。しかしながら、果たして国もそうなのだろうか。いや、国は全く違う。

自らお金を作り出すことが出来る通貨発行権を持っているからだ。もし我々民間企業や民間人が勝手に1万円札を作ろうものなら、刑法第148条第1項の通貨偽造罪で即刻逮捕。無期又は3年以上の懲役に処され、監獄行となる。
経済的中心物であるお金に関する犯罪は重い。
しかしながら国はそんなことはない。根本的な違いがそこにあるのだ。

矢野氏の云う財政破綻論の間違いを正確に指摘するには、金融工学や複式簿記などの専門知識が必要となるが、その点については専門家に委ねるとして、今回、総選挙を目前に、現職の財務次官の強行な姿勢に対して、意義を申し上げるとともに、文藝春秋への寄稿文の内容について異論を述べたい。

現在コロナ禍のもと、多くの国民が疲弊し、喘いでいる。その苦境を「なんとかしなければならない」と与野党問わず、矢野氏が云うバラマキを含む経済政策の公約を掲げようとしていた時に、タイミングを見計らったかのような今回の苦言は明らかに選挙妨害と云わざるを得ない。
国民の代表である国会議員を小馬鹿にするかのような態度はいかがなものであろうか。立場や時期を弁えて物を言うべきである。もっとも、それが狙いだから致し方ないか・・・。 

さて、本文の文言について、私なりの感想や反論を述べてみたい。
P93の上段、「心あるモノ言う犬」とあるが、私は「心ある」について非常に違和感を感じた。どの様な意味で使ったかは不明だが、前述したように多くの国民はコロナ禍で職を失い、収入が減り路頭に迷っている。「心ある」人間なら先ず手を差し伸べたいと思うのが当然だろう。
P94の上段1行目「経験に基づき国家国民のため・・・」とあるが、間違った貨幣観を持って緊縮財政を唱えることが果たして本当に国家国民のためになるのか。甚だ疑問である。国民をただただ苦しめているだけではないのか。
P95の上段1行目「私たち公僕は一切の偏りを排し、日本のために・・・」とあるが、真実を見極めようとしないことが偏りである。

P95の上段19行目「事実を正直にお知らせし・・・」とあるが、私には事実を曲げて国民に知らしめているとしか思えない。
P95の下段19行目「歳出と税収が逆転する(黒字になる)・・・」とあるが、民間なら確かに黒字化は必要である。しかしながら国は違う。プライマリーバランスの黒字化自体間違い、その必要など全くないのではないだろうか。
「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」とはっきり、財務省が外国格付け会社宛意見書要旨(HP)に記載しているではないか。
P96の下段17行目「このような経済情勢の下では、昨春の10万円の定額給付金・・・死蔵されるだけ」とあるが、預貯金に回したとしてもいつかは必ず使われる。「死蔵」とは問題発言である。
P97の6行目「過剰な給付金や補助金は、かえって企業の競争力を削ぐこととなり、日本経済の活力をも劣化させる」とのことだが、これはあまりにも当事者意識からかけ離れた机上の論理、空論と云わざるを得ない。農業政策もそうだが、新自由主義的な発想が更なる格差を生み、多くの犠牲者を生むことになるのではないだろうか。

P97の11行目「日本の国際競争力はますます欧米に水を空けられ・・・国際競争力とか生産性向上が重要視されている中で、これも深刻な問題」とあるが、これもまた新自由主義的な発想であり、「欧米に水を空けられる」とあるが、アメリカは巨額の財政出動を打ち出している。
P98の上段末行「本当に巨額の経済対策が必要なのか。その経済対策は本当に有効なのか」との問いだが、紛れもなく必要であり、間違いなく有効だ。経世済民、コロナ収束後、経済活動の回復の為にも、財政出動による刺激策により、景気は回復し更なる経済の好循環が生まれる。
P98の下段4行目「国民の差し迫った実需に鑑みて、冷静に議論する必要がある」とのことだが、是非とも、国会はもとより、国民に信を問う為にも地上波の放送やネットなどでも、金融工学に精通した積極財政派の論客たちと、正々堂々と議論を交わしていただきたい。

P99の下段1行目「いわば算術計算(加減乗除)の結果が一つでしかないのと同じで、答えは一つであり異論の余地はない」とのことだが、これは数学的な思考ではなく、所謂算数的な思考に他ならない。
P100の上段4行目「誤った認識に基づく放漫財政」とのことだが、そもそも誤った貨幣観によって我々国民を苦しめていると云うことに、一刻も早く気づくべきだ。
P101の下段12行目「不都合な真実」とあるが、何度も云うようにその不都合とは「財務省側が誤った貨幣観を正すこと」なのではないだろうか。
P101の下段16行目「心あるモノ言う犬」について、何度も云うが、心あるモノなら、先ず困っている国民を真っ先に救うべきではないだろうか。
以上の様な印象を財務次官の寄稿文を読んで思ったが、文章の印象として「だである調」と「ですます調」の混合が見受けられ、違和感を持ちながら通読した。

財政破綻は本当にあるのか、いや、財務省の公式見解にもあるように、自国建ての通貨発行である限り債務不履行(デフォルト)はない。
発行された国債は最終的には日本銀行が引き受け、数字上の赤字分を精算する。精算すると云っても、単なる数字の消去に過ぎないが、それが管理通過制の本質である。金本位制は古の産物であり、旧態依然とした金融制度である。
10日後の10月31日に総選挙を控え、各党が選挙公約を掲げて選挙運動を展開している。
各党の公約をみると、金融緩和の継続や積極財政を唱えるところが多いようだ。勿論、コロナ禍と云うこともあるだろうが、コロナ禍云々を問うまでもなく、正しい貨幣観を持って財政政策を唱えていただきたい。

新聞各紙には、分配を競い合う積極財政に対して「財源論置き去り」との見出しが目につくが、「国債発行」の一言で片が付く。
しかしながら確かに、財源論を的確且つ積極的に答える政党は見受けられない。
MMTの理解を、今迄詰め込んできた知識や経済理論の組み合わせに頼らず、数学的な思考も取り入れ、駆使しながらしっかりと理解し、正々堂々と財源論を展開していただきたい。機は既に熟している。



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