世に問う!言わずにはいられない
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329.核廃絶を!「人間らしく生きたい」 2022年8月10日
終戦から77回目の夏を迎えた。
戦後生まれの私らにとっては、戦争の恐ろしさは映像を通して知る以外その術はない。
現在ロシアによるウクライナへの侵略戦争をニュースやYouTube等で確認出来るものの、生々しい現実を目の当たりにし、肌身で知ることは出来ない。
それが為に、「戦争絶対反対」と声高に、言葉にはするものの、どことなく現実味に欠け、説得力に欠ける様な気がしてならない。
ロシアが核攻撃をチラつかせるようになり、戦争の当事国でもない日本ですら、軍備増強はもとより、一気に核兵器保持が叫ばれるようになった。

確かに、防衛に特化した軍備力の強化は致し方ないかも知れない。
しかしながら世界で唯一の被爆国である我が国。核廃絶を世界に訴えかけるオピニオンリーダーであるべき筈の日本が、核兵器を持ってしまえば核廃絶など訴えられる筈がない。

被爆から77年目を迎えた昨日、長崎市の平和公園では長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ、77年前の原爆投下時刻(午前11時2分)に合わせ「長崎の鐘」が鳴らされた。また先日の8月5日、広島市でも平和記念式典が行われた。

その式典での広島県知事の挨拶のなかで、
「あの時、川の土手で真っ赤に燃え盛る空の下、中学生らしき黒い人形の様な人達がたくさんころがっていた。「お母さん」。その声もだんだんと小さくなり、やがて息絶えていった。
生き延びても孤児となった子どもたちは、転々と身を寄せた家に居場所もなく、廊下に風呂敷を置いて着替え場所として、被爆者の病気が感染るなどの差別に苦しんだ。
被爆者が人生をかけてまで核兵器の廃絶を訴え続けるのは、人間らしく死ぬことも人間らしく生きることも許さない、この原爆の、核兵器使用の現実を心と体に刻みつけているからだ。」
と身につまされる被爆者の体験談が赤裸々に述べられた。

77年も経ち、一人二人と実際の被爆者、体験者がこの世を去り、実際の被爆体験談を話す方たちがいなくなりつつある。
今後は語り部の継承者育成を初め、当時の生々しい動画や写真により、廃絶を呼びかける以外に方法はないのかもしれないが、何度でも、これ迄以上に世界各国への呼びかけが必要である。
世界で唯一の被爆国として、日本政府は是非とも、今迄以上に力を入れ、核兵器がこの世から無くなる迄諦めることなく続けていただきたい。

その意味に於いても、先日行われた第10回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議に、日本の総理として初めて出席したことは大変意義深く、評価出来るのではないだろうか。
今年11月23日には、広島で第1回核兵器のない世界に向けた国際賢人会議が開かれるとのこと。
核兵器のない世界になる迄の道程は長く厳しいと云わざるを得ないが、少しづつでもいいから、不退転の決意を持ち、堅忍不抜の精神で続けることにより、必ずやいつの日かその思いは結ばれ、核の廃絶を実現できるものと確信している。


<朗報>
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