世に問う!言わずにはいられない
何かと住み難い、住み辛い世の中になってきている様に思える昨今、私なりの提言や言いたい事を投稿するサイトです。人それぞれ意見や考えも違いますが、「こういう考え方もあるんだな〜」と、ご理解頂ければ幸いです。
   2010年以降の「世に問う」は、こちらのサイトに投稿致します。 2009年(63)以前の投稿分はこちら
このページ以外の提言は「世に問う!home」に戻ってからお進み下さい。
90.理想と現実の狭間に  2010年9月11日
ここ岩手にも、漸く秋らしさを感じさせる日が訪れてきたようだ。つい此間迄は、蒸し風呂に入ったゆでダコ状態だったが、「安堵の胸を撫で下ろした」と実感込めて涼しさを喜ぶのは私だけではないだろう。
そんな中、一通の手紙が届いた。封を開けて中を確認してみると、先日、総合学習現地調査の一環として、「働く人に学ぶ」というテーマで、私が運営している施設に体験学習をしたいと地元中学の1年生が数名訪れた。手紙はその生徒達からだった。

拝啓
初秋の候…から始まり、質問事項に対して親切に答えてくれた事や、人間としてどうあるべきかなどの教訓に対し、「本当に勉強になりました」と、そこには感謝の気持ちが満々としかも丁寧に綴ってあった。この心の籠った生徒達からの手紙は、私にとっては一生の宝物であると思うほど嬉しいものだった。

ただ、生徒達からの質問事項の中に、一つだけ返答に窮した項目があった。「何の為に働くのか」という質問に対し、咄嗟に思い浮かんだ答えが「生活の為」という回答だったが、それではあまりにも現実的過ぎる。子供達に夢を与えるべき回答をと咄嗟に判断し、「社会に貢献する為だ」と綺麗事をつい答えてしまったのだった。


勿論、少しでも社会に貢献すること自体、実に尊い事であり私の常日頃の目標でもある。
決して間違いだったとは思っていないが、昨今の厳しい社会や経済情勢の中で、「生きる」という大前提に於いて現実を考えたならば、「生活していく為に仕事をするのだ」と断言した方が適切であり、寧ろ、彼らの両親の常日頃の労を理解して貰えたのではないか、それを理解することにより、彼らは親の苦労を知り、感謝をすることにより尊敬もしたのではなかったか、と若干の後悔が残ったのだった。

今回の中学生の訪問により、決して、儀礼や美辞麗句で飾り立てたり、ありきたりな答弁をするよりも、本音で話す事の重要性や必要性を改めて確認することが出来たように思う。




Sponsored Link
 嬉しい手紙(実際の手紙など) ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
Copyright:(C) 2010 yonitou iwazunihairarenai All Rights Reserved.










inserted by FC2 system