個人的な問題でいうと、私有地である境界の問題ではしばしば泥沼化し易い。
最初はお互いの話し合いによって解決しようと試みるが、次第に感情的になってエスカレートしていく。
その為、第三者を入れ仲裁を求める。それが民事調停だったり、裁判という法的手段をとることになるのだが、調停や裁判にはそれ相当のエネルギーが必要となる。
精神的苦痛という意味でいうと、嘗て私が苦い経験をしたことだが、私有地の境界をめぐり、相手方が、私に相談もなく強行的にロープを張った行為があった。
境界線の明確化という観点では決して悪いとは思わない。勿論否定するつもりもない。但し、その方法として絶対に正しいと言えるものではない。権利を主張するという行為は、必ずしも悪い事ではないだろうし寧ろ主張すべきである。
だが、常識の範疇で考えるならば、先ず、相手側に話を持ちかけ同意を得た上で、境界線の明確化の有無を相談すべきであって、一方的でしかも独善的な行為は、明らかに許し難いものであるというのが私の意見である。
その強硬な行為に対して、底知れない、いいようのない精神的圧迫感や強迫観念を味わった経験があった。
それと同じような、しかも「いじめ」とも思える脅威が、日本の北と南に起きているのである。
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国民の多くが、待望していた尖閣諸島沖合での衝突事件の真相を写した映像だが、この真実の姿を、世界の世論に訴えたいと思うのと同時に、過剰な愛国心(ナショナリズム)に油を注ぐようであってはならないと希っている。
また、この映像の流出にあたり、ある大臣は、「誰が流出したかを徹底的に追及していく」とインタビューに答えていたが、国民の知る権利を妨害していたその理由を、先ず国民に説明する責任を果たすべきではないだろうか。 |
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