世に問う!言わずにはいられない
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81.禁煙の背景に!  2010年5月28日
当時20歳になって間もなく、「年季が明けた」とばかりに、成人した証として吸い始めたのは今から32年も前のことである。
中学の頃だったか、西部劇に嵌り、中でもクリントイーストウットの“夕陽のガンマン”は何度見ただろうか。その1シーンの中で、薄汚れたポンチョを身にまとい、汗や埃で薄汚れたカウボーイハットを被り、口ひげと顎鬚をほどよく伸ばし、つまり無精ひげだが、そして口には葉巻をしっかりと銜えている姿が、今でも鮮明な残像となって瞼に残っている。その姿がまた実に格好良く見えたものだった。

当時、その武骨で荒っぽい姿こそが、本物の男であると真剣に思ったものであり、男子たるもの「斯く在りたい」と子供ながらにそう思ったように記憶している。
そして、そのシンボルとしてのアイテムが、葉巻つまりタバコであった。
そんな感情を抱きながらも、規律は規律、ルールはルール。
ましてや、祖父や母親が教育者であったこともあり、20歳の解禁日をむかえる迄、ひたすら辛抱したものだった。

おそらく、その反動だろうか、吸い始めて此の方、一度も休煙したことがない。
それどころか、インフルエンザで40度近い高熱を出した最中でも、「ちょっと不味いな〜」と思いながらも、まるでそれが義務であるかのように吸っていたのだから、まったくもっておバカさんである。

入院など、何かの切っ掛けでもあって、強制的にでも吸えない状況に追いやられるのであれば未だしもだが。
更には、周りの友人らに対して、「俺がタバコを止める時は死ぬ時だぞ」と豪語していた経緯もあった。

そんな私が、禁煙を始めてから既に3週間が過ぎ4週間目に入ろうとしている。
決して、健康上の理由や身体の不調によって禁煙を始めた訳ではない。「将来のことを考えて!」いや、そういう訳でもない。

勿論、それらの理由も心のどこかに多少はあったかも知れない。しかしながら、最大の理由、切っ掛けとなった訳というのは、先ず「何処に行っても肩身が狭い」ということであった。新幹線は全て禁煙車両、喫茶店やレストランでも「店内、或いは敷地内は禁煙です」の掲示看板が多くなったのである。
かといって、街中で銜えタバコも顰蹙(ひんしゅく)ものだ。
以前は街中の一角や公園にも灰皿が置いてあったのだが、今では殆んど見受けられなくなった。

本来であれば、吸わない人達よりも我々喫煙者の方が多く税金を払っていて、少なからず世の中の為に使われていた筈であり、社会に貢献していた筈?、何も肩身の狭い思いをする必要もない筈なのだが、「世の中」というものはそういうものなのだ。
勿論、10月からの値上げも、止める原因の一つにはなった。
そんなこんなで今回禁煙に踏み切ったという訳だが、10月のたばこ税の値上げによって、禁煙に踏み切る人達が増えることが予想される。
そうなると、喫煙を原因とする医療費の負担分と、禁煙により減収する税金の割合は、医療費の負担が多いと予想されてはいるが、当然一時的に減収であることは間違ないのではないだろうか。但し、増税による相殺ぶんは未知数だ。

何れにしても、喫煙者が減れば減るほど、何処に一番しわ寄せがくるかと言えば、間違いなく生産者、つまり葉タバコ農家である。
どの分野、どんな産業に於いても、真っ先に犠牲になるのは生産者であり、末端の労働者ということになる。
一番気がかりなのは、何と言ってもそこの部分である。

この問題を解決する為の方法の一つには、当然セーフティーネットの構築は言うまでもない。
また、逆説的に聞こえるかも知れないが、タバコの生産や販売等に関する規制の緩和、つまり自由化が必要であると考えられる。

これまでは、嘗て特殊法人であって、半ば国営企業のような一企業に、「タバコ製造の独占が認められている」先ず、この事を改革して行くことが解決策の一つであると考えられる。
勿論、直接販売にあたっては、健康を害すると分かっていて販売する訳だから、それなりの規制や規定があって然るべきである。

しかしながら、ただ単に自由化と一言にいっても色んな問題が出てくるのだろう。

嘗て、食管法の改正に伴ない、米の販売の自由化が進められた結果、地域やブランド品の価格格差が広がり、販売ルートの獲得や、販売技術のノウハウの格差などが著しく広がる中、大半の小規模米農家では、米を作れば作るだけ赤字が広がるといった悪循環に苛まれた。
米農家にとっても、苦労しながらやっとの思いで米を収穫するよりも、「買って食べた方がずっと安上がりであり、この方が遥かに楽である」という事になってしまうのが現実ではないだろうか。
勿論、政府にとっては、それが狙いでもあるのかもしれないが、そのことが、タバコ農家にも広がる懸念があるということは確かであって、もし、仮にタバコが自由化となった場合には、この事を念頭に置きながら政策に反映してもらいたいものである。




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