世に問う!言わずにはいられない |
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何かと住み難い、住み辛い世の中になってきている様に思える昨今、私なりの提言や言いたい事を投稿するサイトです。人それぞれ意見や考えも違いますが、「こういう考え方もあるんだな〜」と、ご理解頂ければ幸いです。 |
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128.ただひたすらな愛 2012年1月5日 |
多くの尊い命を一瞬にして奪い去った3・11の未曾有の大災害は、日本中の人々の心を傷つけ、そしてズタズタに引き裂いた。
しかしその反面、人が人であるための本来の姿やあり方、他人に関わり合い、そして愛を持って支え合おうとする思いやり、そしてその絆を更に深める事となった。
日本全国から、痛みを分かち、少しでも被災者のためにと、実に多くの「まごころ」が届けられ、或いは我が身を挺して瓦礫の撤去や側溝の泥上げなどの労を買って出る人達が後を絶たない。これは正しく、ボランティア精神の根幹をなす愛他主義に他ならない。
被災地気仙沼でのボランティア活動で出会った若者達、一人は大阪、そして神奈川、もう一人は青森から参加したという彼らは、現地入りしてから既に10日目になるという。
泥上げ作業のちょっと空いた時間に、「ところで、仕事は大丈夫なのか」と尋ねると、「ハイ、僕達は皆ニートです」と後ろめたそうに小声の返事が帰ってきた。
私はそれを聞いて、その場にはとても居られない衝動にかられた。
世の中では、ニートを問題視する向きがあるけれども、彼らは十分に社会に貢献しているではないか。
また、陸前高田で何度か出会ったボランティアの一人に、原発事故の二重苦を背負う福島県二本松市から、5月の連休以来、週末には毎週のように参加しているBank
of Japanの現役職員もいた。
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また、広田でのボランティア活動で出会った彼らは、神奈川でIT関係の職に就いているという。彼らの体躯を見ると、とても力仕事など経験した事がなさそうだったが、汗だくになりながらも一生懸命に瓦礫を拾っては捨場へと運んでいた。「少しは休んだ方がいいよ」と促しても、休む時間が勿体ないからと言って黙々と瓦礫と格闘していた。
昨日の地元地方紙に、震災後10ヶ月目にして初めて被災地に訪れた地元選出の大物議員(小沢一郎氏)の記事が載っていた。
私は正直いって目を疑った。また愕然となった。
理由はどうあれ、まさか初めてとは信じ難かった。記事の一文には、県知事との会談の際、「今度の選挙は厳しくなるぞ」と謂ったそうだが、そんな事は当たり前ではないだろうか。
有権者である被災者の人達はいったいどう思っているのだろうか・・・。
余談はさて置き、
ボランティアの定義や理念の中で、最も重要なものは、自らの自由意志で行う自発性である。斯くてボランティア活動をとおして出会った人達皆が、この自発性を持って行動し、他人や社会の役に立つ事によって自分の存在意義が確立されるという大義を、皆、各人の心に秘め、そして心に刻みながら社会に対して奉仕、貢献しようとしている。
私が心より尊敬する人物の一人に、我が身を顧みず、全滅と言っていい程津波の被害を受けた大槌や陸前高田などの被災地に、4tトラックに食料や衣料品などの生活必需品を支援物資として満載し、勿論身銭を切りながらも何十回となく運んでいる人物(以後大将と記す)がいる。
その活動の中には、以前商売をされていた被災者の方に、大将が所有するプレハブやコンテナハウスを無償で提供し、再起をかけ、これから頑張ろうとする被災者の方への支援にものりだしていた。
この善の行為、徳の行いを知り、ある民間の支援団体や以前ニュースでも放送されたが、四国香川県にある有名店の製麺屋さんから1万食分もの讃岐うどんを送ってこられ、「是非被災者の方々に差し入れて欲しい」と、大将に託されたとのことだった。
それを受けて、大将の仲間である北上市商工会工業部会のメンバーらと共に、現地で炊き出しを行っている様子が民放のニュースでも紹介された。
世の中には、このいわての大将のように、我が身を挺し、善の心を持ち、底知れぬ沢山の愛を他人に降り注ぐ人達がいるんだということを、今回の震災をとおしてまじまじと知ったような気がする。
本来の意味である『情けは人の為ならず』とは別に、『一方的な、ただひたすらな愛』を、心の底から知ったような気がしてならない。
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