世に問う!言わずにはいられない
何かと住み難い、住み辛い世の中になってきているように思える昨今、右にも左にも決して属することなく、中立・中道をよしとして、敢えていうならば弱者の味方に立って私なりの提言や言いたい事を投稿するサイトです。
人それぞれ意見や考え方も違いますが、「こんな考え方もあるんだな〜」と、ご理解頂ければ幸いです。
   2010年以降の「世に問う」は、こちらのサイトに投稿致します。 2009年(63)以前の投稿分はこちら
このページ以外の提言は「世に問う!home」に戻ってからお進み下さい。
136.男の顔は履歴書だ! 2012年7月1日
「男の顔は履歴書だ」と云ったのは、故・大宅壮一(ジャーナリスト)である。
氏は、生前、自宅の書庫などに4万冊以上もの書籍や雑誌を保有し、「何かを調べる時は直ぐにその関係書を引っ張り出して調べたものだ」と話していた。故に「本は読むものではなしに引くものである」との明言を残している。
また、「男は40歳になれば自分の顔に責任を持たねばならない」と云ったのはリンカーン元アメリカ合衆国大統領である。(但しそれには前段があって、顔が気に入らないという理由で不採用にした男性がおり、そのことに対して側近からたしなめられ、苦し紛れにそう答えたのが事の真相らしい)

それらの顔に関する造語や格言の真相、或いは信憑性については諸説色々あろうが、「男の顔は履歴書だ」に至っては、当たらずとも遠からずではないかと私は思っている。
勿論生まれ持っての美形や美顔、二枚目顔やイケメン面の類は比較検討の材料ではない。

小生のような世間一般で云う不細工顔であったとしても、心優しき男の顔には、どことなく優しさが滲み出るものであったり、教養を高めた者や徳を積んだ者の顔には、それ相応の品格が備わっているものだ。

そんな視点から、グルっと辺りを見回してみると、どうもテレビ画面に出てくる政治家の御顔には、前述のイメージが湧いてこない面々が多いように思えて仕方がない。金と権力に取り憑かれた、とても善人とは思えぬ「悪相の面」としか映ってこない人も少なからずいるように思えてならない。

それでも、若い議員や新人の議員、或いは「悪相の面」にしか映ってこない面々でも、新人の頃のそれは多少違って見える。

金権体質の蔓延る腐りきった柵を断ち切り、利権絡みの歪んだ政治を正そうと大義を持って政界に打って出た当初は、熟し過ぎた果実が、今にも果肉と皮が垂れ下がり、重力に逆らうこと無く自然に落っこちるのとは違い、表皮には潤いや張りがあり、中身も引き締まっているように見える。
しかしながら何れは、狸や狐の化かし合いによる政界の荒波にさらされながら、経年による劣化と共に変貌を遂げていくのだろう。

選挙の時は、地元有権者に世話になっておきながらも、一般常識で考えれば、震災直後に選挙民の安否を気遣い、一番最初に駆けつけるべき地元選出の大物政治家が、放射能が怖くて10ヶ月も隠れ素知らぬ振りをしていたと、ある週刊誌や地元の新聞で報じられた。
更に、権限にものを言わせ、行政当局から内々の放射能未公表段階の情報を極秘裏に入手し、身内のみに逃げるようにと促し、自身も逃げようとしたとのことだったようだが、奥さん(当時)に窘められて思い留まったとのことである。

これが事実であったならば実に情けない話しである。
とても国政を司る政治家の取るべき態度ではない。「それでも男か」と言いたくなる。
地元有権者らに対する裏切り行為だといっても過言ではないのではないだろうか。
庶民の立場に立ち、生活第一、生活重視の政策を推し進めると断言したその姿勢や方針に、
心から応援してきたつもりだったが、今思えば実に虚しく感じられてならない。

追記
嘗て、死者・行方不明者10万5000人余、住家全半壊21万余り、焼失21万余りの甚大なる被害を出した1923年9月1日の関東大震災後に、復興対策を進める為に創設された「復興院」は、当時内務大臣であり、災禍を恐れること無く率先して復興にあたった後藤新平翁の主導によるものであった。
その後藤新平翁の出身地も、同じく岩手県水沢市、現在の奥州市である。



Sponsored Link
 「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の   ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
Copyright:(C) 2010 yonitou iwazunihairarenai All Rights Reserved.










inserted by FC2 system