世に問う!言わずにはいられない
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191.言論の自由とは 2015年1月13日
フランスパリでのデモ行進が、370万人というとてつもない大行列となって言論の自由を唱え、テロ行為に対する抗議デモが行なわれている。
その先頭には、フランスのオランド大統領を初め、ドイツのメルケル首相やイギリスのキャメロン首相ほか50カ国の首脳が抗議デモに参加した。中でも、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とパレスチナ暫定自治政府のマフムード・アッバス議長も列に加わり、団結を示したことは実に注目すべきことで、非情に意義深い。
これを切っ掛けに和平への第一歩となることを期待したい。
この大規模な抗議デモは、ご周知のとおり、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を、皮肉交じりに掲載する週刊新聞を発行するシャルリー・エブド社が、アルジェリア系フランス人のクアシ兄弟らによる襲撃により、ジャーナリストや風刺画家12人が犠牲になったことに対する抗議デモだ。

それにしても370万人とはとてつもない数だが、第2次世界大戦の反戦デモよりも遥かに多いと云われている。
その事は何を意味するかは実に意味深い。
なかでも主犯格の弟が、以前通っていたとされるモスクの事務局長も、今回のデモに参加している。

銃規制が厳しいとされるフランスで、軍用のカラシニコフ銃を平然と昼日中持ち歩き、乱射しての殺戮行為は絶対に許されるものではない。
信仰の対象である預言者ムハンマドへの風刺に対する恨みからくるとされる銃撃による蛮行は、本来ならば言論は言論で対抗すべきだが、あまりにも非情な暴挙としか言いようがない。

ただ、そこで問題なのが、シャルリー・エブド社の週刊誌による今迄の表現方法やその内容はどうなのかだ。
言論の自由の名のもとで、やり過ぎ、書き過ぎはなかったのだろうか。

テロリストの肩を持つつもりは毛頭ないが、自由とは言っても、無秩序であってはいけないのではないか。秩序や節度があって初めて、自由の自由たる普遍性のある本来の意味が、真の自由の尊さを増すものだと私は思う。
一定のルールのもとでの自由こそが、本当の意味での自由だと私は確信している。
一線を越えてはいけない。
何でもかんでもやりたい放題では、単なる無法行為に過ぎない。
言葉にしろ文章にしろ、節度を持った上での表現でなければならないのではないだろうか。

肉親に対する誹謗や中傷を、皆さんはどんな風に受け止められるだろうか。私ならとても許せるような寛大さを持ち合わせてはいない。信仰心がより深ければ深い程、その信仰の対象となる神や救世主に対する敬愛や崇高の念が深まり、高まるだろう。その人らにとっては肉親以上に尊いものだと思っているかもしれない。
その精神性、或いは霊性といったその人、人らにとっての心の拠り所を、侮辱したり、おちょくったりするのは決して正しい行為とは言えない。教えや内容如何に係わらず。

週刊新聞「シャルリー・エブド」が、14日発行の特別号ではイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を特集するとのことだが、更なる軋轢を生まないよう、ただただ祈るばかりだ。



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